けものフレンズのヒット要因考察 「かわいさ」の擬態の克服

 

「かわいさ」の極限の更新

萌え要素などで「かわいさ」を安易に強調する作品はいくらでもあるが、強調しすぎると普通の人は「媚び」を感じて一歩引いてしまう。
その一歩先にあるより強力な「かわいさ」とはどのように実現できるのか。けものフレンズでは「動物化」と「低知能化」の併用によって「媚び感」を排除し、最高水準の「かわいさ」を達成している。

 

そもそも「かわいい」とは何か。「かわいさ」とは、保護欲求を刺激する特徴のことで、子供のように保護が必要な者ほどより大きな「かわいさ」を持つ。人間は、この「かわいさ」という本能に従って行動することで、リソースの最適な分配を可能にしている。
これに対して、「媚びている」感じ(あるいは「あざとい」とも表現される)とは、本来あるべき「かわいさ」の程度を過度に超えたものに対する疑いの感覚。本来渡るべき贈与や保護が、偽物のかわいさを纏った、いわば「かわいさの擬態」に搾取されることは公利に反するため、当然「かわいさの擬態」に対しては嫌悪感を持ち、「かわいい」刺激は抑制されなければならない。人が化粧や整形を嫌う傾向にあるのはこのためだとも説明できる。
つまり、かわいさの特徴を単純に強調するだけでは、媚び感を与えるので、より高水準の「かわいさ」は実現できない。

 

では、けものフレンズはどのようにしてこの限界を超えたのか。
媚び感は本来あるべき「かわいさ」から乖離した場合に生じる。であれば、より強力な「かわいさ」を持って然るべき存在を登場キャラクターにすればよい。そのように考えると、例えば、大人よりも子供、子供よりも幼児の方が好都合といえる。あるいは大きな身体よりも小さな身体が好都合といえる。実際の世界でも確かに大人<子供<幼児、あるいは、大きな人<小さな人、というふうにかわいさの大小関係がある。今の萌え豚アニメの多くはこの本能のルールに従った結果、幼なさや女性が選択されやすい状況にある。(ちなみに、けものフレンズのように、登場人物から異性を排除するの傾向は「けいおん」くらいからよく見られるようになり、性というノイズを排除するためだという説明がよくされる。が、その説明だけでは、なぜ男性でなく女性が採用されやすいかという疑問に答えることができない。なぜ女性に偏るかといえば、男性よりも女性の方が保護欲求を満たすのに都合がよいためだ。これについては別のところで詳しく書きたい)

 

なるべく幼い方が好都合であることがわかったとして、ではさらに強力な「かわいさ」を持つ存在とはなにか。けものフレンズの出した回答は「低知能化」だ。同じ子供でもコナンくんのように知能が高すぎると多くの人は不気味さを感じて保護欲求は削がれる。逆に、適度に知能が低かったり、欠けた部分があれば、保護欲求はより刺激される。しかし、子供を低知能にするのにも限界がある。例えば知性を三歳児レベルまで下げるとした場合、言葉すらしゃべれないという未熟さを手に入れる一方で、キャラクターに言葉を使わせるようとすれば言葉を使うことに対する違和感を作りかねない。やっぱりここにもジレンマがある。

 

けものフレンズではキャラクターの「動物化」によってこの問題が回避されている。
けものフレンズに登場するキャラクターは、動物を人間化した存在だが、重要なのは、元の動物らしさを丁寧に残して、実際の動物を見ているかのような感覚を与えているという点。もし動物が人間になったらどのように振る舞うだろうか、という点にかなり真剣に向き合って描かれている。例えば、サーバルキャットのサーバルちゃんの持っている特徴として、ジャンプ力、体温の下げ方、水を口で直接飲む、車のハンドルを握れない、夜行性であることなど、元のサーバルキャットの身体的特徴や知性の限界が描かれている。さらにそれらの特徴を、実在する動物園の飼育員が解説する動画まで本編中に挿入される程の気の入りようだ。身体的特徴だけでなく、人間に落とし込む際に不可欠な「性格」などの精神面も元の動物らしい特徴が与えられている。
この結果何が起きたかというと、登場するキャラクターの見た目はほとんど人間なのだけれど、ネコ動画などのいわゆるアニマルビデオを見ている時の感覚に近い感じを与える。(というより、「ジャパリパーク」という世界自体が動物と触れ合う目的で作られていると解釈もできる。)例えば、カワウソが滑り台から降りて「わーい!たーのしー!」という有名なシーン(参考動画:http://www.nicovideo.jp/watch/sm30498043)では、(世界観を理解した上で視聴すれば)極めてナチュラルなあどけなさが見て取れる。しかしこれを人間でやると媚びている感じが強すぎてあどけなさは成立しない。この違いこそが、けものフレンズの新規性である。
サーバルとカワウソは特に語彙が少なく低知能のキャラクターだが、動物を人間化したという設定ととるなら、当然の知性の程度として受け取れる。むしろそれ以外のキャラクターの知性は動物にしては高すぎる。だから、もし本物のカワウソが言葉を得たとしたらあのようになるだろうという想像はそれほどねじ曲がったものでもない。サーバルも同じで、何か感動するたびに「すっごーい!」「なにこれ!なにこれ!」「わーい!バスバス〜!」のような幼児レベルの反応を示すが、実際の動物が言葉を得たとしたらあの程度の幼稚さが限界なのだから、媚びている印象を視聴者に与えない。

 

このように、動物であることを根拠にして低知能さをキャラクターに与えることで、人間のキャラクターだけでは決して到達できないより自然で、より純粋な「かわいさ」を実現している。

 

「かわいさ」の複製と伝搬

「すっごーい!」「わーい! たっのしーい!」のようなサーバル達のセリフは、SNS上で猛烈な勢いで複製・拡散されている。作品を視聴済みの人からすれば、その発言を見る度にサーバルちゃんやカワウソ達の「かわいさ」をフラッシュバック的に得ることができる。まさに複製可能な電子ドラッグである。たった6文字の「すっごーい!」を加えるだけで、誰もがサーバルちゃんの「かわいさ」を擬態できるのだからやらない手はない。また、未視聴の人からみれば、あの繰り返される謎の肯定的発言は一体何だと気を引かれ、とりあえず気になるから見てみようという気持ちにさせるので、作品の認知拡大を相当手伝っているに違いない。他の作品でもセリフがテンプレとして流行することはあるが、「すっごーい!」や「わーい! たっのしーい!」のもっている汎用性の高さはとにかく異常。

 

汎用性の高さは、誰もが参加可能になるという意味で、今のインターネットでは別の大きな意味を持つ。今や視聴者は作品そのものの楽しさとは別に、作品を通じてどれだけ他人と繋がったり共感したりできるかをもう一つの大きな楽しみにしているからだ。言い方を変えると、所属欲求のはけ口をコンテンツの消費環境に求めている。
ニコ動やニコ生上での視聴者同士のコメントはそれを満たす絶好の装置だ。例えばエロ要素や萌え要素は、すべての人間が共通して備える感情なので、これらの要素はしばしば視聴者同士が共感・一体感を得るための材料になる。実際、胸の大きな女の子が現れると「でかい」、パンツが見えそうになると「みえ」といったコメントが押し寄せ、わかりやすい形で他の皆が同じ感想を持っていることが可視化される。

 

けものフレンズは、低知能化により、エロ要素や萌え要素に並ぶ強力な共通項を与えた。
サーバルちゃんの語彙の乏しさは誰もが子供の頃に通った道だ。誰もが通った普遍的なものだからこそ、「すごーい!」「なにあれ!」は全ての人に響くのかもしれない。

 

 

物語の魅力と、キャラクターの魅力の関係について

本編の「おかあさんといっしょ」並の安心感と優しい世界から一転してエンディングが廃墟をバックにした不穏なものへと切り替わることからもわかるように、この作品には闇の部分があり、単なる動物紀行でおわらない。4話の最後でそのことが最も顕になるが、4話と同時に視聴者の反応も最もヒートアップし、Tweet数もここで爆発する。

 

このことから言えるのは、キャラクターの低知能化や動物化は「かわいさ」(保護欲求の刺激)を強め、共感や連帯を促す記号を与えやすいという点でたしかに重要だが(そしてそれがSNS拡散の一要因になっていることは確かだろうが)、作品の大ヒットの決定的要因とするには不十分といえそうだ。つまり4話で顕になる鬱展開への示唆、あるいは「この世界は一体どうなっているんだ」「人間という種の行方」のような大きな物語のちらつかせに対して視聴者が大きな反応を示した原因こそがヒット要因とするなら、それについて考えなくてはならない。

 

大きな物語に触れることで得られる知的興奮は、アニメの視聴から得られる快楽の中では最も刺激が大きく、同時に、最も獲得・提供が難しいものだと思う。
けものフレンズでは、「ヒトという種の行方」という大きな話が4話で入ってきて、ここで作品に引き込まれたという感想を多く見かける。だからこの事実だけを見ると、4話の要素が最重要に見える。しかし、どんな作品でもそうだが、そもそもフィクションであるその作品の世界についてある程度信じ込んだり、愛着がなければ、その世界での「ヒトという種の行方」などどうでもいいはずだ。
だから、1話から3話を通してその世界に触れ、その世界のキャラクターに感情移入をどれだけできるかが、その後に現れる世界の危機とか世界の謎についてどれだけ興味を持てるかが決定する。
そういう意味では、4話での興奮は前半に書いた話にも依存しているので、やっぱりサーバルちゃんの「かわいさ」の重要性は、物語を楽しむという点でも無視できないのだ。もっというと、視聴者が一体感や共感を持ってその世界を視聴する行為そのものが、宗教でみんなで同じ神を崇拝して共同幻想を作り上げるのと同じで、虚構にリアリティを注ぐために必要な手続きともいえる。

 

作品が持っている教育テレビ的な妙な真面目さ(飼育員の解説や、動物紹介のテロップに正式な学名が記される、など)や、さりげなく投げかけられる哲学的な問(「なぜヒトは服をきるのか」など)といった要素もまた、この作品が単なる萌えアニメではなく信じるに値するリアリティのある世界だという雰囲気を作っている。実際この作品の考察をみると、アニメ『けものフレンズ』は人類史600万年を探求する - 本しゃぶりという記事が書かれてバズるほどに、妙に教養くさい連中まで惹きつけている。

 

f:id:gen256:20170409160703j:plain

 

逆に言うと、世界やキャラクターへの愛着さえあれば、大きな物語は展開せずとも、少しちらつかせるだけで十分だということも言えそうだ。実際、4話で浮上した謎は最後までほとんど明らかにされず、各話でヒントを少しずつ小出しにするというスタイルだった。最終話を除けば、基本はサーバルちゃんと主人公の楽しい旅が続いて新しいフレンズに出会うというパターン化された話で、そこに捻りはない。世界設定はかなり特殊だが、最大の関心だった「絶滅」周辺の話にしても、それ自体は特別に優れたSF要素というわけでもなくありふれたものでしかない。

 

ホラー作品では、恐怖の正体が明らかになるまでが一番怖いということがよくあるが、それと同じで、大きな物語の謎に触れる興奮も、明らかにするまでがいろいろ想像が働いて面白いのかもしれない。
その謎に対する真実が、仮に説得力のあるものだったとしても、むしろ明かさないままでいてほしい。かつて、地球が丸いことをまだ知らなかった時、海の地平線の先にある幻想世界を簡単に想像することができたが、その幻想は地球は丸いという真実によって想像の余地を失うことになった。このことから言えるのは、真実を与えれば人は納得し好奇心は満たされるが、想像の世界を楽しみ続けるのであれば謎の状態を与え続けることが重要だということだ。

 

まとめ

けものフレンズのヒット要因はどこにあるのか。

・Tweet数の盛り上がりや多くの感想が示すとおり、表面的には4話の終盤で前面化する大きな物語のちらつかせが重要だといえる。

・しかしその興奮の大前提として世界やキャラクターへの愛着や感情移入が必須であるを考えると、1〜3話に真の原因があると考えられる。

・キャラクターへの愛着に着目した結果、「低知能化」と「動物化」をキャラクターに与えることで、媚び感が丁寧に排除され、より純粋なかわいさを実現していることがわかった。

・「低知能化」はエロ要素や萌え要素に並ぶ強力な共通項となり、動画視聴時の共感や一体感を与えやすいほか、普遍的な動物的な共通言語としてSNS上の拡散を手伝った。