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公式RTは攻撃性を誘発する危険な機能

昨日のニコ生放送「勝間和代 デキビジ(勝間和代、田原総一朗、佐々木俊尚、東浩紀)」で主に東さんが言ってたこと。

公式RTは攻撃性を誘発する危険な機能

Twitterに鍵をかけて劇的に変化したよって話。

東:非公式RTは知ってる人間が言ってるのでそこまで批判を言えないが、公式RTは見知らぬアイコンが突然現れて挑発的に見える。

東:Twitterは自分のタイムラインを自分の好みで選ぶので「自分の庭」のような環境。そこに自分たちとは異なる意見が突然入ってくる。

東:複数のツイートからなる意見なんかの一部だけが切り取られてRTされていたので、前後の文脈が参照されない。議論は文脈が大切なので、一部だけ切り取るといくらでも過激に見える。

佐々木:togetterなんかでも、そういった切り取りが起こる。

東:ミニマスコミみたいな。

その他気になったところをいくつかピックアップ。
3.11周りのことをからめつつ日本の行方、みたいな感じのお話だった。

ネットメディアへの失望

佐々木:日本人は対立軸を作ることができていない。未だに勧善懲悪の物語のようなものがある。官僚、大企業、政治家は叩いて良い、その一方に無辜の市民がいるという発想。

勝間:菅さんが悪いと大合唱してもしょうがない。

*:逆に官の側も民を愚民と見ている。官と民の間に大きな壁がある。

東:昭和時代の国民の意識は、政策の優劣を判断するとか高度なことは考えてなくて、「偉いやつが何か言ってるかとりあえず聞いとこう」くらい。それに比べれば平成時代の方がまだ民の意識の方が上がっている。しかし、上がっているが故に混乱を招いているのではないか。

東:昔は、政治家や社長の意見はおとなしく聞いていたが、今は平社員も社長との対等意識みたいなものをもっていて、その極限がtwitterのようなソーシャルメディア。みんなが平等で、お互いに監視でき、民主的な理念が隅々まで行き渡った。しかし、行き渡っただけという印象。

佐々木:アーキテクチャはどうであれ、マスメディアにしろネットメディアにしろ、鏡に過ぎない。ネットメディアの方にも、マスメディアが抱えていた権威主義的な部分とか、批判だけしてりゃ何とかなるだろ的な空気感が、この5年間くらい流れ込んできた。

佐々木:ネットメディアでも何でもそうだが、アーリーアダプター層がちんまりと数百万人くらい集まってやっている最初の内は民主的な雰囲気もあって面白い。しかし、1千万を超えた(キャズムを超えた)瞬間に、リアルな日本社会になってしまう。

東:日本では、google+にしろfacebookにしろ、キャズムを超えた瞬間に2ch化する。今Twitterもそうなってきている。だからアーキテクチャの問題ではなくて、社会のコミュニケーションのあり方をのものを変えないとだめ。

東:権威主義を打ち砕き、みな平等にし、権利意識を持った。そしたら突然無秩序になった。単に平等にするだけではなくて、何かプラスアルファが必要なんだろう。

国語教育を変えるべき

東:この国ではオープンにしただけではダメで、西洋と違って、結局Twitterもこの国では空気を増幅させる装置にしかならなかった。この国で公共的な議論をするにはどうすればいいのかをもっと真剣に考えなくてはならない。

東:ネットは明らかにしてくれるが、解決はしてくれない。教育とかもっと根本的な解決が必要ではないか。

東:特に国語教育。論理的な文章を書く能力をもっと鍛えさせるべき。大学生になってもみんなエッセイみたいにどこが始まりか終わりかもはっきりしないようなものしか書けない。昔から感情を素直に表現しましょう、みたいなイデオロギーがある。

東:日本人は同じ結論に達しない議論ができていない。すぐ頭にきちゃう。冷静に情報交換して去ることができない。何かひとつの答えがるのではないかという思い込み。

佐々木:プロセスが大事なのに、答えがでないもんだからすぐ東電批判とかに走っちゃう。

勝間:ひとつの答えがあることを教育で植え付けすぎ。

市民社会ができるか、ヒットラーができるか

東:戦後の日本は、「みんなが同じになる」という理念しかなった。みんなが同じ生活をするとか、そういうことでしか社会的正義みたいなものを実感できなかった。でも、今僕らが直面してるのは、「みなが同じでなくなる」こと。価値感も収入もばらばらな人間が同じ国を作るということを考えなくちゃいけない。これは明治維新からあまり真剣に考えたことのない問題。

東:物質的・経済的平等によって連帯感(たとえばみんなが同じテレビを見るとかもそう)を保っていたが、それがなくなったとき、どうやってお互いにつながりを保つのか? それがなくなったとき本当にみんなバラバラになっちゃうんじゃないか。

東:格差を孕んだ市民社会を許せるかどうかが、ファシズムか市民社会かを分けそう。

笑えるポイント

1:16前後

感想

アーキテクチャの件で、「やっぱりネット言論も人が増えたら2ch化してしまってダメだった」とさらりと流されてしまったが、もうちょっとどうにかなりそうな気がする。

東氏の公式RTの話からしてもそうだけど、ほんの少し見え方(情報環境)を変えるだけでガラリと人々の心理状態を変えてしまうみたいな話って、Twitterに限らず、mixiの足あと機能、ネットの匿名性、あるいはちょっとした投票機能とか、ソーシャルメディアのいたるところで見られる。その影響力って地味にでかい。
3.11まわりのTwitterの話も、例えばだが、もしTwitterに公式RTがなければ、全く別の空気になっていたかもしれない。

他人の視線という(特に日本人にとっては)非常にデリケートなものに対して、システムのちょっとした機能やデザインが(意図していないとはいえ)乱暴に働いてしまえるところに、すごくアンバランスを感じる。
でも逆に言うと、その設計次第では人々を理想的な方向へ制御することも可能だとも言い換えれるのではないかと。